カルテの余白 患者さんとの出会いカルテの余白 患者さんとの出会い

エピソード24

ホームページを通して世の中に関わることを生きがいに

38歳の頃に手に力が入らないという症状が出始めたHさんが、ALSと診断されたのは43歳のとき。 しかし、Hさんご自身が病名を知ったのは50歳になる頃でした。ショックを受けることを気遣った奥様が、難病ではあるけれど、末梢神経の病気と伝えていたためでした。

発病から十数年間は仕事を継続

Hさんの症状は上半身から進みました。設備関係の会社に勤務し、外回りの仕事が多かったのですが、上司の配慮で社内での仕事に配置換えしてもらい、54歳まで勤務を続けました。10年ほど前からは呂律の回りが悪くなり、腕がぶら下がったような状態になって、ものを持つことも、電話をかけることもできない状態だったそうです。パソコンのマウスは使えたものの、腕が持ち上がらないのでキーの打ち込みをする時は、立った状態で腕をぶら下げたところにキーを置き、指で一文字ずつ打ち込んだといいます。理解ある職場の同僚に恵まれたからこそ、仕事を続けられたとHさんは感謝しています。

大変だった通勤

通勤には電車を乗り継いで1時間弱の道のりでしたが、朝のラッシュは特に大変でした。先を急ぐ人波のなかで、階段を上る必要もありました。次第に倒れることが多くなり、通勤途中で倒れ、頭を怪我して入院したことも何度かありました。倒れるとわかっていても腕が動かないので頭をかばうことができなかったそうです。会社からの帰り道、会社を出て、すぐの道で倒れたのをきっかけに、会社勤めをあきらめざるをえなかったといいます。

地球の回転が止まってしまったようなショック

前述のように、Hさんは最初ALSという病名を知らず、難病であるとのみ告知されたそうですが、それでも地球の回転が止まってしまったようなショックを覚えたといいます。 さらにALSと知った時の気持ちについては「最初は自分が世の中から疎外されてしまったようで、明日は来ないように感じて、とても辛かった」と教えてくれました。しかし、今の気持ちをうかがうと、「お世話してくれる人たちから励まされて、少しでも世の中に関わることを生きがいにしていきたいです」と答えてくれました。Hさんがその手段として始めたことの一つがホームページの開設でした。

ホームページで情報を発信

仕事でCADを用いていたHさんはコンピュータの扱いにも慣れていました。そして友人に勧められてホームページを開設し、積極的に情報を発信することにしたそうです。コンピュータのキーボードを打ちやすいように、傾斜をつけた専用の置き台に乗せ、初めてのホームページを友人たちに助けられながら、自力で開設しました。わからないところは、奥様が友人に電話をして聞き、それをHさんに伝え、二人三脚で作り上げたといいます。

また、得意のCADの知識を生かして、頼まれたデザインの仕事をすることもありますが、周りの人にとても好評だそうです。「仕事を始めるとトイレも忘れて、集中しているようです」と奥様は話します。

フランツシステム搭載車で6万kmを走破

機器を使ったコミュニケーション

声が出しにくいHさんは、周囲とのコミュニケーションに、会話補助装置(レッツ・チャット)を使っています。言語障害と上肢障害があり、ボタンを押すことが難しい方のコミュニケーションを可能にする装置です。Hさんは足で操る入力スイッチを使って操作しています。最初はアカサタナのように「行」が点灯し、該当する行でスイッチを押し、次にその行の中で一文字ずつ点灯していく「文字」をスイッチで選ぶことで、一文字ずつ文章を紡いでいきます。

明るい奥様が「私は気が短いから、全部書いたら教えてって言っちゃうんですよ」とおっしゃるように、気の長い作業です。

フランツシステム搭載車で6万kmを走破

美術館めぐりなど積極的に外の世界へ

Hさんは週2回の自立支援サービスを利用し、デイケアに通っています。デイケアでは希望により、外出先を決められるそうですが、なかでもHさんが希望することが多いのが美術館。現役時代は美術館へ行くことはほとんどなかったそうですが、行ってみたらとても楽しかったそうです。奥様も驚かれたHさんの新たな一面です。発病から18年。自宅で奥様とご両親とともに暮らすHさん。2人の子どもも巣立ち、孫も誕生しました。奥様の話をニコニコしながら聞いているHさんの穏やかな横顔に、ご夫婦の絆を感じました。