エピソード11
若年性ALSを発症して15年 母親として子供の成長を見守る
Mさんは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発病したとき、まだ幼児を抱える29歳の若い母親でした。以来15年、自分自身がALSと闘いながら、子供達の成長を母親として見守ってきました。そして、すでに成長した娘さん、息子さんとご主人に囲まれて、今なお母親として暖かい炎を燃やし続けています。
最近、立派に成長した娘さんと息子さんが、お母さんと一緒に時々私に会いに来てくれますが、これが神経内科医として最高の喜びを感じるひと時です。
原因がわからないまま2年間病院を転々
Mさんは、29歳で「手の力が落ちて荷物を落とす」「指がまっすぐ伸びない」と手の異常に気がついて、近所の整形外科を受診。しかし、「特に異常はない」と言われます。その後、首が痛くなったけれども、牽引療法が行われただけで、確たる診断がつかないまま数カ月がたちました。右手の異常から、左手、足と異常が広がっていきましたが、Mさんの「なぜ?」という疑問は解決されないまま、どんどん時間が経過しました。
翌年の春、指が鷲手のようになり、頚椎のヘルニアを起こして、某大学病院に一時入院します。しかし、ここでも診断がつかなかったので、別の総合病院の神経内科を受診。医師は「運動ニューロン疾患らしい」という診断を下しましたが、それ以上の診断には至りませんでした。
ようやく私のところを受診した時には、自覚症状が出てからすでに2年を経過していました。
家族歴はないが若年性ALSと診断
初診時には、「話しづらい」、「何となく息苦しい」、「左足が上がりにくく平地でも転びやすい」、などの訴えがありました。舌が萎縮する球麻痺症状や手足の筋力低下も見られて、典型的なALSと診断しました。29歳の若さでの発病は若年性ALS(*1)の範疇に入るのですが、家族歴がまったくないという点では、変則的なケースであるともいえます。
Mさんには、当時まだ幼い男の子と女の子がいて育児に手がかかっていたのに、自分の病気の問題が加わって、悩みも大きかったことと思います。
(*1)若年性ALS:若年性ALSは遺伝性のものが多く、2つの遺伝形式があるといわれている。症状の進行は非常に緩徐であり、経過は長いことが明らかになっている。
非常に緩やかに進行した病状
病状の進行はかなり遅かったけれども、そのうち車イスを使用するようになり、5年ぐらい前から上気道炎や軽い肺炎を起こしやすくなりました。嚥下困難の症状が出て栄養状態が悪くなってきたのが発症してから12年目の3年前のこと。経内視鏡的胃瘻増設術を行った結果、体重も増え、貧血も改善しました。鼻からチューブを入れる経管栄養法よりも、確実に栄養や薬を注入でき、外観上もイメージが影響されないので、患者さんにとってはより良い方法だと思います。その後も、症状は非常にゆっくり進んでいますが、呼吸器症状は現在のところまだ出現してきていません。
家族と地域の看護体制で在宅療養が可能に
Mさんの住まいは、当院の近隣の市にあり、その地域の看護体制が非常に整っていることも特筆すべきことでしょう。15年間の自宅療養生活は、この充実した看護体制によって支えられてきました。ご主人が仕事に行っている間は、地域の看護師さんやヘルパーさんが夜まで看護して、入浴なども自宅で行います。子供達は、クラブ活動にも積極的に参加し、普通の子供と同じように成長してきました。母親の看病で家族に重圧がかからないように看護体制が整えられたことは、子供の成長にとっても非常によかったと思います。
現在は、月に1度ご主人と一緒に私の外来を受診しています。時には2週間のショートステイを組み入れて、家族の介護疲労の軽減を図っています。
人工呼吸器装着か否かの迷い
発病して15年を経過し、現在ではまったく寝返りのできない全介助の状態です。初期に一時的に息苦しくなることがありましたが、その後も呼吸器症状は出ていません。私は、いずれ呼吸器障害が出ることを予測して、人工呼吸器の装着についてもMさんとご主人に詳しく説明してきました。緊急の場合に慌てないように、本人の意志を確かめておきたかったからです。
当初Mさんは、「子供の成長を見ていたいので、人工呼吸器を付けてもらいたい」という意志表示をしていました。子供達が中学、高校と成長していく大切な時期に、病床にあっても母親としての役割が果たせるのなら、人工呼吸器を付けるという選択もあると考えられたからです。
しかし、実際に子供達が中学を卒業する頃になり、徐々に人工呼吸器に対する考え方に変化が現れました。今から7年前のことです。「先生、人工呼吸器は付けないでください。子供達がそろそろ自分で物事を判断することができる年齢になってきたから」と言われるのです。日常のケアは地域の介護ヘルパーさんや訪問看護で体制を組み、土曜・日曜は娘さんが、またご主人や息子さんも積極的にケアに加わるという状態で、人工呼吸器を付けても十分介護していけるという自信が家族の中にも育ちつつある矢先でした。
「ここで人工呼吸器を付けると、これからの子供達の生活を縛りつけることになるのではないか。自然に逆らって人工呼吸器を付けるよりも、自分の命は自然の体力が尽きる時に終わりたい」とMさんはご主人に通訳してもらいながら、胸のうちを話したのです。おそらくそれは悩みに悩みぬいたうえでの結論でしょうが、Mさんの表情はとても明るく、すがすがしい印象を受けました。長い闘病生活のなかでは、苦しいことも多々あると思いますが、来院するとニコニコしていて、気持ちを明るく持とうと努力しているのがわかり、私たち医療スタッフも非常に勇気づけられています。
Mさんは、現在もまだ呼吸器障害が進行していないので、自力呼吸で療養していますが、今後の進行を見守りながら、人工呼吸器についても会話を重ねていきたいと思っています。
MAT-JP-2108393-2.0-12/23