エピソード19

1日に1回はみんなで笑おう!

     私が、東京都世田谷区の神経難病医療班で訪問診療しているEさんは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されてから約10年。病気の進行が早く、そのほとんどの期間を、人工呼吸器を装着してベッドの上で過ごされているのですが、私が訪ねると時折とびきりの笑顔を見せてくれるのが印象的です。その笑顔の秘密は、生来の茶目っ気と、Eさんを支えるご家族とヘルパーさんの細かな心配りと、強さに支えられた明るさにあるようです。
 

気づいたら体重が10kgも減少


     Eさんがご自身の異変に気づいたのは、1997年春のことでした。体重が徐々に減り、気がついたら10 kgも減少していたそうです。このころから声がかすれたり、指先がもつれたりするようになり、手首を骨折したこともありました。またつまずきやすく、階段がうまくのぼれなくなって、体を二つに折り曲げるようにして上り下りしなければならなくなりました。
いくつかの病院を訪ね、何度か検査を受けましたが、いずれも異常なし。ところが12月になって、声のかすれがいっそうひどくなり、また誤嚥が起こったこともあって、横浜市内の病院へ。耳鼻咽喉科で診察を受けたところ、ALSと診断されました。


 

3カ月間の検査入院。退院時には人工呼吸器を装着


     その後しばらくの間、東京のご自宅から横浜の病院まで通院を続けられたEさんでしたが、通院の大変さから、都内の病院の神経内科を紹介されました。1998年の7月に検査入院しましたが、入院中に急速に病状が進行して球麻痺症状が進んだため、10月の退院時には、すでに人工呼吸器を装着して自宅に戻ることになったのです。
入院前、自宅療養を続けていた間は、なんとかこれまでどおりの日常生活を送れていたのに、入院して急に病気が進行していくのを、Eさんの娘さんは不安な思いで見守るしかありませんでした。
 

“スーパーヘルパー”の登場で家族に笑顔が戻る


     自宅に戻ってからは、娘さんの毎日はEさんの介護を中心に過ぎていきました。痰詰まりが繰り返し起こったり、蕁麻疹で入院したり、円形脱毛症になったり……懸命な介護にもかかわらず、次から次へトラブルが起こり、途方に暮れることも少なくなかったようです。
ところが、在宅ケアを始めて5年ほど経ったころ、3人目のヘルパーKさんが来てくれるようになると、Eさんと娘さんたちご家族の毎日が変わりました。看護師の経験をもち、患者さんの状態をしっかり見極めて、早め早めに対応するよう手を打つ、まさに“スーパーヘルパー”が、心強い味方として現れたのです。
 

• 微妙な変化を見逃さない


     訪問看護ステーションから紹介されたヘルパーKさんは、コミュニケーションの達人でもありました。すでに人工呼吸器を装着しているEさんとのコミュニケーションを深めるために、Eさんのそばを片時も離れず、ちょっとした表情の変化も見逃さないように見守ったそうです。「どんなに冗談を言っても笑顔を見せてくれない。そんなときは体調を崩す前兆。すぐに訪問医を呼びます」。突然Eさんの調子が悪くなって家族がうろたえてしまうようなときでも、「ほら電話して」「あなたは向こうでじっとしていて」と、てきぱきと冷静に指示を与えてくれるので、娘さんたちも落ち着いて対応ができるようになりました。 「家族が見てもわからないような微妙な変化を、看護師の経験があるKさんはすぐに見つけて、適切な判断をしてくれるので、本当に助かっています」と、娘さんはKさんとの出会いに心から感謝している様子です。
 

歌や踊りや冗談に笑顔が


     ヘルパーKさんと話をしていると、ぽんぽん冗談が飛び出します。訪問看護チームが集まるときも、気がつくと全員が大きな声で笑っているといったことがしばしばです。 「1日に1回は笑わせてあげたいと思って」と、Kさん。冗談を言えばにっと笑うし、踊りをおどればすごく喜んでくれる。歌を歌うと、歌に合わせて口を動かす。Eさんの感情表現もとても豊かになりました。「おちゃめなところのある母とKさんは、気が合うところがあるのかもしれません」と、娘さんも楽しそうに話されます。
「少しずつ様子をみながら、Eさんにとって一番よいことをしてあげたい」と心をくだくことで、痰詰まりなどのトラブルはほとんどみられなくなりました。「いつもここにいるよ」と話しかけ、体に触れて、視界に入るようにすることで、Eさんは安心して、穏やかな気持ちで過ごせるようになりました。いまでは睡眠薬も必要ないほど、ぐっすり眠れているそうです。

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